「健太康太」という双子デュオがかっこいい!
あなたは「健太康太」という双子のミュージシャンを知っていますか?
私は昨日何となく見てた「家、ついて行ってイイですか?」(テレビ東京の番組)の過去の放送で二人の存在を知ったのですが、内容を見ていくうちに
なんて素晴らしい方たちなんだ!
と惹き込まれました。ぜひみなさんに存在を知ってもらいたい!
「健太康太」とは?
「健太康太」とは双子のミュージシャンです(福岡県出身)。
テレビ番組の情報によると、白のワンボックスカーを40万円で購入して黒のスプレー缶で真っ黒に塗装し
- 前面に「DIAMONDBLUES」(1st アルバムの名前)
- 後ろに「健太康太 勝手に全国ツアー」
と記し、この車(ダイアモンドブルース号)に
- ライブ用の器材(スピーカー、アンプ、ミキサー、マイク、マイクスタンドなど)
- 食料(カップラーメンやカセットコンロ)
- 布団
を積んで道の駅で寝泊まりしながら日本全国に歌と思いを届ける旅をしているミュージシャンです。
この活動では「ガソリン代が一番かかる」ようですが、
- アルバムの売り上げ
- ライブでの売り上げ
などで賄っているようです。
ブログ、ツイッター、オフィシャルサイトもあるのでぜひチェックしてみてください。
この番組を見てほしい!
上で言ったように私が「健太康太」を知ったのはテレビ東京の「家、ついて行ってイイですか?」という番組です(1年前に放送されたもの)。
まずはこの番組の説明が必要なのですが、この番組は
終電を逃した街いく人(一般人)に「自宅までのタクシー代を払うので、家までついて行っていいですか?」と声をかけて取材を行う番組
です(さまざまなリアルな人間ドラマを観れて最近めっちゃハマっている番組です!)。
そこにたまたま健太さん、康太さんが通りかかったわけですが、そこから番組が始まります。
文章で「健太康太」のことを語るより、こちらの番組を見た方が一撃ですw
ぱっと見は、いかつい出で立ちで「悪」な印象を持ちますが、めっちゃいい人たちなので最後まで見てください!(最初~17分43秒まで)
「健太康太」の素晴らしいところ
この動画は著作権的なことを考えると削除される可能性が高いので、個人的に「健太康太かっけぇ!!!」としびれたところやぐっと来たところ、感想などをまとめます。
自分たちの夢を後回しにして弟のために・・・
「健太康太」は母子家庭で育ち、母親がお一人で4人の兄弟(健太さん、康太さん、弟、妹)を育てました。
そして「健太康太」のお二人が弟・妹の父親代わりとなり、
弟を大学まで行かせようよ
と仕事で稼いだお金を家に入れていたようです。
弟の大学卒業とともに、次は自分たちの夢を追いかけるということで26歳から音楽活動を本格的に始めたそうです。
小さい頃から歌が大好きで(おばあちゃんがカラオケの先生!)、正直、もっと早く始めたかったはずですが、自分の夢を後回しにして弟のために頑張っていた・・・ほんと素敵です。
東日本大震災の日に帰国
「健太康太」は、ニューヨークにミュージシャンとしての武者修行にいき、帰国した日が何と2011年3月11日の東日本大震災があった日で、
被災地に行って歌を届けたい
という思いから、毎年、東日本大震災に遭った人たちを勇気づけるためにライブボランティアを行っています(東北の小学校・中学校などに)。
※震災当時は多くのボランティアが訪れ「また来るね」と声をかけて帰っていったようですが、震災にあった子どもたちの中には「また来るねっていう人はたくさんいるけど、来てくれる人はいない」というような子もいると違う番組で観たことがあったので、毎年東北に訪れるって素敵な心の持ち主だと思います
前を向いて歩こう
テレビにもありましたが、この歌いいですね!
これは「上を向いて歩こう」の替え歌なのですが、歌詞が
前を向いて歩こう
涙がこぼれてもいいから~略~
幸せは雲の上なんかにはない
幸せはここにあるよ
オリジナル(1961年に坂本九さんが初披露した歌)は
上を向いて歩こう
涙がこぼれないように幸せは雲の上に
と戦後の復興から高度経済成長期(1954年~1973年)ということで「我慢・忍耐」「上昇志向」が『是』とされたであろう時代の歌詞となっていますが、
「健太康太」は東日本大震災で受けた心の傷や若者の間に閉塞感漂うこの時代だからこそ「弱さを認め合えること」や「前向きさ」を大事にしていることが伝わってきます。
そして何と言ってもハモリが素晴らしい!
毎日一つ感動したい
「健太康太」は、「毎日一つ感動する」ことをテーマに、狭い車の中にパソコンを置いて二人仲良く寝そべって必ず1日1本以上の映画を鑑賞しているそうです。
これは母親の教えで、小さい時から毎日映画を観させられたことによるものとのこと。
そして面白いのが、
家族みんなで映画を観る生活が当たり前だった
中学の時受験勉強していたら、母親が「勉強よりも大事なものがこの映画に詰まっとる」
と受験勉強を中断させられたとかw
こういうお母さんだからこそ、健太さん康太さんみたいに素晴らしい人間が育ったのでしょうね。
「貧乏って言葉を聞いてもあったかさや愛を感じる」
「健太康太」は小さい頃、母親の内職も手伝っていたようです。
0.0001円くらいにしかならないバラを作っていた
1日1000個以上の釣りの浮きを作っていた
ご飯食べてみんなでヤスリで磨いて浮きの引っ掛かりをなくす(浮きの表面を滑らかにする)作業をしていた
ヤスリでずっと磨いていると、親指と人差し指の指紋が無くなり
母親がその手を握って「ごめんね 指紋無くなったね」と涙してたこともあった
正直に言いますよ?この瞬間恥ずかしいですが、私泣いてしまいましたw
(そういうことに反発することは)ビックリするくらいなかった
おかんの育て方がうまかったのか
質素なものでもごちそうに見せてくれる料理のうまさがあった
「あのおもちゃが欲しい」とかも2人で常に遊び相手がいたからなかった貧乏って言葉を聞いてもあったかさや愛を感じる
それくらい貧乏って言葉に対してネガティブな感覚がない
やっぱり小さい頃って、欲しいおもちゃがあったり、貧乏であることを恨むことが普通だと思いますが、健太さん康太さんの「人格のすばらしさ」はこういうところにバックボーンがあるんですね。
なぜ東北にボランティアに?
「健太康太」はニューヨークの武者修行から帰ってきた日が2011年3月11日の東日本大震災の日で、宮城県気仙沼市にある鹿折小学校(ししおり)に全国から集めた文房具の支援を届けにいったそうです。
そのときに校長先生から
音楽やっているんだったらぜひ生徒たちに歌を歌ってくれないか
と提案され、この日の午後の授業を削ってくれて「健太康太」にライブ時間を1時間与えてくれたそうです。
その時の感想を次のように述べています。
最初は怖くなりました 純粋に
歌を歌ったりMCをしたりすることで逆に傷つけたり思い出したくない過去を思い出させたりするんじゃないかということがどんどん恐怖に変わって
でもいざ歌ってみるとキラキラした目で子どもたちが観てくれて初めてお客さんからそのような目で観られた
みんなで掛け声を「えいっ!」って上げる歌がある
みんな一緒になって掛け声してくれて初めてあの時歌いながら涙が出ました
それから毎年東北にボランティアにいくようになったようです。
そして2016年4月に熊本で起きた震災にもすぐに駆け付け、東野中学校を訪問したそうです。
全国問わず日本中で歌える活動がしたい
番組のスタッフから問われて「健太康太」は次のように答えていました。
どこかのタイミングで「こんな事言いよった歌あったな」「こんな事言いよった兄ちゃんたちおったな」と
ぼつぼつと出てくるような感じの歌手になれたらと思う
だから全国問わず日本中で歌える活動がしたい
ぜひ、「健太康太」にはメジャーになって日本全国に感動と勇気を与えてくれるデュオになってもらいたいです!
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